西蔵王高原
慈覚大師が立石寺より前に開山した瀧山は、古くから根強い山岳信仰を集めています。その麓に広がる西蔵王高原は、自然を生かした野草園、キャンプ場、公園広場、放牧場などがあり、蔵王温泉、市街地からも近いエリアです。放牧場の中には、平安時代から自生しているとされるオオヤマザクラが、ピンクの美しい花を咲かせます。瀧山川に沿った麓には、和銅元年(708)に行基が開山し、後に慈覚大師が再建した天台宗の古刹・石行寺があります。境内にある岩波観音は最上三十三観音第7番札所で、観音堂は県有形文化財に指定されています。滝を有する流水式の美しい庭園も心を和ませます。
千歳山 萬松寺
千歳山と阿古耶の松は東北の名勝古蹟として今昔物語、源平盛衰記、平家物語に記載されています。その千歳山の山麓に佇む、白鳳時代(約1300年前)に阿古耶姫によって開かれたと伝えられる山形で最も古い名刹が萬松寺です。仏殿は東北地方では珍しい土間式で、市有形文化財に指定されています。また、千歳山中腹にある千歳不老園には、2代目阿古耶の松があります。
千歳山
千歳不老園・2代目阿古耶松
陶芸の里・平清水
千歳山の山麓にある文化・文政年間の頃から伝わる陶芸の里で、現在も幾つかの窯元が残っています。また、天平9年(737)に行基の開山と伝えられる天台宗の古刹・平泉寺には、市の天然記念物に指定されているシダレザクラとベニシダレがあり、春の風物詩にもなっています。最上三十三観音第6番札所の平清水観音は、寺伝によれば、平安中期、陸奥の安倍頼時・貞任が前九年の役を起こした折、源頼義が戦って勝ち、その戦勝を京都の清水観音に祈願し、それが成就し凱旋の途中、京都の音羽の滝に似た平清水に本尊の十一面観世音菩薩の分霊をまつり、最上川を境に東側の33ヶ村の守護仏として信仰を広めたとされています。
平泉寺
平清水観音堂
伝説の里・東沢
豊かな自然と風土に恵まれ、炭焼藤太の物語や蔵王信仰発祥の地で知られる歴史と伝説の里です。馬見ヶ崎川上流にある最上三十三観音5番札所の唐松観音は、平安時代、豊丸姫が守護仏として持参した聖観音像を、夫の炭焼藤太が唐松山の岩窟に祀ったのがはじまりと伝えられています。その後京都の清水寺を模して岩肌に観音堂がつくられました。また、唐松観音前広場には観光芋煮発祥の地として、日本一の芋煮会初代大鍋が展示されています。蔵王信仰の登山口の1つ宝沢口にある蔵王大権現は、役の行者小角が吉野金峯山で千日の修行の末感得、その後刈田嶺に勧請と伝えられ、「蔵王」の山名の由来にもなっています。現在東沢地区下宝沢に遷座され、高さ3.64mの巨大な立像は、最上義光公寄進と伝えられ、市有形文化財に指定されています。
初代大鍋
蔵王大権現
紅花の里・高瀬
今もなお農村風景を留めている里で、古くから紅花の産地として知られますが、アニメ映画「おもひでぽろぽろ」の舞台としても有名です。宗教的遺跡も多く残されており、斉衡3年(856)に慈覚大師により開山されたという天台宗の名刹・風立寺には、鎌倉時代の作とされる市指定有形文化財の石造の宝篋印塔があります。
馬見ヶ崎川
蔵王や雁戸の山々を源とし、古くから山形市民の生活・農業用水として利用され、現在では親水空間やいも煮会の会場としても親しまれています。昔は山形城の北側にありましたが、寛永元年(1624)に当時の山形城主鳥居忠政公が城下町の洪水を防ぐため、盃山を切崩し現在の流れに変えました。
旧松應寺観音堂(松尾観音堂)
出羽の関ヶ原「長谷堂合戦」古戦場跡
天下分け目の戦いといわれた「関ヶ原合戦」。徳川方の最上軍と豊臣方の上杉軍・直江兼続が山形で半月に渡り攻防を繰り広げました。この地には、壮絶な戦場の舞台となった最上軍の平山城・長谷堂城跡(城山)や村人が両軍の戦死者を供養した主水塚など戦国の世を感じさせる史跡があります。また、城山中腹には源頼義奥州征伐の折、守護仏とした大和長谷寺の観世音を、霊夢に従いこの地に堂宇建立とともに奉安し、これが寺の始まりで、以来山号は長谷山、地名も長谷堂と呼ぶようになった、最上三十三観音の第12番札所の長谷堂観音があります。
長谷堂城跡からみた直江軍本陣跡(すげさわの丘)
長谷堂観音堂
大平雪椿峠
出塩文殊堂
吉祥院千手堂(松尾観音堂)