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温かい日が続いていましたが、久しぶりに雪の舞ったこの日、私たちは遅めの昼食を求めて、旧羽州街道を北に上ると、旧寒河江街道を山辺の方へ入ってすぐのところにある寿屋本店さんへ向かいました。 店へ入ってすぐに目に飛び込んできたのは、「蕎麦振舞い」や「忠弥そば」などの印象的な名前と魅力的な解説のついたお品書き。それらを横目で見た後、店全体を見渡すと、店内には4人掛けと2人掛けのテーブル席が合わせて22席、4人掛けの座敷席が16席あります。何となく奥へと進んだ私たちは、一番奥の座敷へ上がることにしました。 |
そばと大きく書かれた暖簾 |
テーブル席と座敷席のある落ち着いた雰囲気 |
初めから終わりまで一通りメニューを眺め、顔を見合わせた私たち。実は、初めて訪れたさくらも3度目のヌータオも、席につく前に注文は決めていました。 |
もりそば(550円) |
ツヤツヤと輝く中太の麺 |
とてもお腹の空いていたヌータオは、まずはもりそばをいただくことにしました。 |
続いて、今日の目当ての「すっぽこうどん」です。 |
趣深い蓋付きの椀 |
すっぽこうどん(800円) |
あんかけ出汁をまとったうどんはずっしり重い |
蓋をとると、とろりとした出汁の下にうっすらと緑や赤が見えました。 それはとても優しいお味でした。 |
ご主人の話によれば、すっぽこうどんを始めた時期については不明とのこと。しかし、ご主人が出前の手伝いをしていた子供時分には、すっぽこうどんも出前していたそうです。また、すっぽこの由来について尋ねると、定かではないそうですが、もともと江戸で食べられていた五目のうどんとのっぺいうどんというあんかけのうどんが混ざって山形に伝わったのではないかと推測されているとのこと。冷めにくいのが喜ばれ、小姓町の花街なんかにも出前されていたようですね、とお話ししてくださいました。 |
店の歴史やすっぽこについてお話しして下さったご主人の中井川さん |
入口の貼られたお品書きはどれも魅力的 |
一方、寒い冬にふさわしく温かいものをと、店内に入ってきて真っ先に壁に貼られたお品書きに目を向けた時から、さくらの心は決まっていました。 |
中華そば(550円) |
あっさりした醤油味のスープ |
見た目は、想像していた通り。ラーメンではなく、まさに中華そばです。 お店は遅くまで営業しているようですので、飲み会帰りのお客さんや仕事が遅い方にも喜ばれるのではないでしょうか。もちろん、一杯やってから蕎麦、という常連さんも多そうですが……私は蕎麦にしようか中華そばにしようかと悩んでしまいそうです。昔から代々受け継がれているこんなお店はいつまでも近くにあってほしいです。 私たちは、次は「忠弥そばを」、「牛すじの煮込みを」、「あ、でももう一度すっぽこうどんを」、「お酒を飲んで再び中華そばも良さそうだね」と想いをめぐらせ、近い内に再訪することを誓って店を後にしました。 |
半世紀近くも生きてきて、その意味不明の“文字列”を初めて目にしたのは、昨年の5月。古くから老若男女に親しまれてきたであろう某食堂のメニューに、それはさも当たり前の顔をして並んでいた。「これは一体なんだ?」という疑問にも増して、「知らないのは僕だけ?みんなは知ってる?」そんな困惑と狼狽とが頭の中でとぐろを巻く。コピーライターという職業柄、少しは山形の雑多な知識量に自信もあったからだ。
しかも、その語感たるや“ひょっとこ”にも通じる軽妙洒脱さ。僕は取り憑かれたように『すっぽこ』を調べ始めた。また、周囲への聞き取りを進めるかたわらで、「すっぽこ通信」と題した情報発信をブログでスタートさせた。
調べ出してすぐに分かったのは、どんな食べ物かを知る人はわずかながらいるものの、その由来、山形への伝来の経路に関しては「なにも分からない」ということだった。インターネットで検索しても、郷土料理の本をめくっても、『すっぽこ』に関する情報は皆無なのだ。
『すっぽこ』は一言で言うなら「湯切りしたうどんに“あん”だけをかけた冬季メニュー」。店によって『しっぽこ』とも表記される。現在、食べられるのは山形旧市内に残る老舗のそば屋、わずかに5軒を知るのみ。義母の記憶に頼れば、昭和10年代後半を境にして、支那そばの圧倒的な普及に圧されるように『すっぽこ』は次第に姿を消していく。注文が少ない、手間がかかる…などの理由から、近年になってメニューを下げてしまった店もある。
名前の由来については、そもそもを、長崎の「卓袱(しっぽく)料理」に求めるのは間違っていないだろう。一方、四国、京阪にもすでに江戸時代から「しっぽくうどん」があった。が、これは「野菜などを煮込んだ“汁”をかけたもの」で、“あん”ではない点が決定的に違う。さて、ここからが、ちょいとややこしい。同じく京阪に『すっぽこ』の原形とも考えられる“あんかけうどん”も存在する。ところが、なんと“あんかけ化”したそれは「しっぽくうどん」から「のっぺいうどん」へと名前を変えてしまうのである。
もう一つの謎は伝来経路。時代から察して、海路を経由し酒田から最上川沿いに、と考えるのが自然だが、庄内に『すっぽこ』の痕跡は見つけられない。そこで、現在有力だと考えているのが、近江商人による陸路伝来説。近江商人はその足で全国を行脚し、ご存知のように、山形においては土着して店を構え、今に至る老舗の商家が数多く存在する。何よりも“あんかけ”「のっぺいうどん」は、今も滋賀県、つまり近江の名物料理なのである。
季節は巡り、待ち焦がれた冬。すべての店を嬉々として食べ歩いた。美味しかった。不味いから淘汰されたのではないか…との不安は安堵に変わり、同時に、この極地的な「山形市の郷土料理」をぜひ多くの人に知ってほしい、と想う今日この頃である。
『すっぽこ』を伝えたのは近江商人ではないか。これを立証できそうな手だてを、ほんの数日前に思い付いた。同様の手がかりを岩手県千厩町にも見つけている。近々現地に赴き、ブログでもリポートする予定だ。時代に取り残され、人々の記憶から消えつつある『すっぽこ』。僕はもう少し、この『すっぽこ』という美味しいタイムマシンに乗って、山形を旅してみようと思う。
>>フロム*ヤマガタ
「すっぽこ研究所」

(有)マン・クリエイト
長岡信也さん
そばと大きく書かれた暖簾
テーブル席と座敷席のある落ち着いた雰囲気







