山形城の大改修をはじめ城下町の造成、商工業、交易、文化などの発展、最上川舟運交通網の整備、庄内平野の開発にも努め、現在の山形の礎を築いた、戦国時代の武将です。
慶長5年(1600)、出羽の関ヶ原「長谷堂合戦」で、徳川方として豊臣方・上杉景勝の重臣・直江兼続と戦い、勝利の功績により57万石(実高最上百万石とも呼ばれる)の全国第5位の大大名となりました。
また、文人としての才も備え、連歌では戦国大名中随一といわれています。
長谷堂合戦図屏風左右隻(個人蔵)
村山地方では、江戸時代初期から本格的に紅花が生産され、京都方面へ移出されていました。
京都では高級布地の染料や口紅・食紅の原料として使われていたため、紅花商人が財をなしたといわれ、紅花は山形に多くの富と文化をもたらしました。
紅花文化を伝える紅花屏風
(青山永耕筆・山寺芭蕉記念館蔵)県指定有形文化財