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山形東南部の集落

≪山形商工会議所発行『山形町細見』より転載≫

眼下に広がる街の夜景に息をのむ
春には西行法師しのぶ「西行祭」

●咲きほこるオオヤマサクラに酔う。西行の残した桜の歌が

 この春、東部公民館の行事に参加するために千歳山周辺の古刹寺を巡って見た。山中には多くの市民が散歩しており、山路の途中にある岩場に腰を下ろすと、市内中央部に紅白色のアンテナと10階前後のビルが建ち並ぶ街に発展しているのに驚いた。さらに、一際目立つノッポビルが21世紀の山形に一つの指針を与えている街の動きに満足した。しかし、眼下の市街の発展ばかりでなく、山中に咲きほこるオオヤマサクラ(一名ベニザクラ)の花の香に酔いながら散策するのも楽しいものである。オオヤマサクラと言えば滝山で詠んだ西行法師(1118〜90)の歌がある。
 たぐひなきおもいではの桜かな
        うす紅の花のにほひは (山家集)
 西行が二度目の奥州行脚を行ったのは文治2年(1186)で70歳頃、9月前後といわれ、平泉に長逗留し、翌年5月頃に山形を訪れたので、桜が咲いていたかどうか不明である(山形市史参照)。滝の山(長谷堂地区)と滝山信仰が世代交替しながら、歴史論争を続ける山形市内の郷土史研究は大変珍しくもあり、関心が高まることによって新しい歴史的発見が生れたり、観光開発に寄与するとも考えられる。このたびは、山形市東南部の瀧山・西蔵王高原を中心に紹介して見たい。
 前に山形市南部の青田・元木地区を紹介したが、山形の町から滝山を訪れる古道は、八日町の八幡神社前から東南に行く道を通り、元木の石鳥居(平安後期建立、国指定の文化財)をくぐって、滝山川に沿って向かう路があった。吉原や南館の人たちの滝山信仰の参詣路ともいえよう。
 これらの路は、昭和40年以降に住宅街化し、小立に向かう路は南北に幅広い自動車道が走り、直通で西蔵王高原に向かうことができるようになった。しかし、岩波の集落を過ぎるあたりから、急に細くなるので気配りが必要である。然も、このあたりに岩波の石行寺という古刹寺があるので、歴史的文化遺産を拝観して欲しい。
 山形市街より第六中学校前の通りを行くと、地図上では「主要地方道山形・永野線(上山市)」と記されている道で、岩波集落あたりから古い道に変る。二車線道路であるので自由に滝山川に沿って登れる。
 岩波の側を流れる滝山川は、この地域で小立と青田・桜田地区の水争いがあったが、平等に水分けされて豊かな稔りもあり、市街化の拡張で農業を営む人も少なくなって争い事は見られない。
 石行寺は「新福山般若院石行寺」と称され、開山は役の行者(伝)でその後、慈覚大師が再興された。山門をくぐると寺の庭園は裏山の滝が流れ、幾層に重なって見える樹木が美しい。特に地蔵堂の側にあるモミジの古木に圧倒された。寺には、南北朝の争い事が出羽国でも発開されたのを悲しみ、早く平和なふるさとにと祈った大般若波羅密多経を納めた経櫃がある。


●慈覚大師が再興した名刹石行寺。最上三十三観音第七番札所

 寺の境内には最上三十三観音第七番の札所があり、役の行者が滝山川下流から大木を持ってきて、十一面観音を造ったといわれている。それで大木を持って来た所を「元木」と呼ぶようになったと伝えられている。観音像は飛鳥時代のものと推定されているが、東北の仏師が彫り、滝山の行者たちが霊験を与えて生れた観音像とも考えられる。一木造りで高さは2b程ある。御堂を囲む板は、チョウナ削りで間口3間の宝形型の御堂で、時代不明の参拝者の落書が数多く見られ、読み下すことは大変であるが、見る楽しさと歴史の深さ、信仰の尊さなど心に訴えるものがある。寺の庭園に湧き出づる泉があり、冷たく甘い水で心を清めて休息できる所である。
 岩波から滝山川に沿って滝山を目指すと八森集落がある。川と山あいの断崖も自然豊かで、時おりカモシカの親子が崖から見下ろしている風景に出合う。かつて、この地区は土坂村と言われた所で、昭和50年頃は世帯数が45、人口225人であった。今は、東南に西蔵王高原ラインの自動車道路が発展し、県庁に一番近い山村になった。歴史を物語るアミダ清水・地蔵堂などがあり、滝山の三百坊への登り口である。山形市内の農民たちが旱魃(かんばつ)の時は滝山に「雨乞い」の祈願に行く道であった。現在の土坂公民館は、昭和59年まで滝山小学校の冬期分校として利用されていた所である。周辺には花笠キャンプ村、森の遊び場、少し下ると西蔵王公園といわれ、悠創の丘からのハイキングコースに利用されている。公園から、月山・朝日連峰や市街地が美しく見えるので、土日の休日に楽しんでいる人も多い。


●滝山信仰が盛んだった鎌倉時代、300の坊があったという

 この地区から西蔵王高原ラインと交叉し、標高が510bの高原地帯となり、神尾地区がある。この地区は滝山信仰と関係が深く、滝山信仰の盛んな鎌倉時代には別当(寺・行屋を含む)三百坊があったと伝えられている。つまり、西蔵王高原といわれている場所で山形市街から見るとテレビ塔が数多く見える560bの高さにあって、山形盆地一帯が美しく見下ろすことができる。
 滝山は1,362bの山、背景に蔵王大権現が鎮座する蔵王連峰をひかえている霊山(古くはリョウゼンという)であった。福島県の霊山と同様に修験者達の交流がなされていたことが、福島の霊山を訪れて知ることができた。単純に慈覚大師が開山した山でなく、一連の天台密教の修行場としての役割を果していたのが瀧山であった。この高原では毎年5月8日に「瀧山大権現=薬師如来」の祭礼が行われる。オオヤマサクラの下で、後藤利雄元山大教授の提唱で「西行祭」が賑やかに行われた。戦中の開拓で伐られた桜も完全に復活した感じがする。市の野草園も市民たちで賑わうが残念なことに茶屋が少ない。
 冬は凍み大根作り、春は山菜、寒ざらしそばもできる高原地帯、秋は紅葉とキノコ狩りなど、土坂・神尾地区は山形市内にとって健康的なレクリエーション基地であり、アウトドアを楽しめる。
 数多くの湖沼群で釣りができる西蔵王公園で、四往復の定期バスを走らせているので老若幼年も利用できるが、夜に見られるカーチェイスの轟音(こうおん)だけは止めて欲しい。

≪山形商工会議所発行『山形町細見』より転載≫

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