山形市観光協会 公式ウェブサイト - WEB山形十二花月
≪山形商工会議所発行『山形町細見』より転載≫
仙台、山形、新潟を結び大型車が走る
古くからにぎわった交易ルート
●平安末期、山形を訪れた西行法師もこの街道を抜け置賜へ
山形市南部を東西に走る国道348号は仙台―山形―新潟を結ぶルートで、自動車が多く通過する道路である。山形から長井、飯豊、小国方面に向かい、小滝街道を通り、600bの小滝峠のトンネルを抜けて右に曲がると白鷹町になる。街道筋から見える飯豊・朝日連峰の美しさに圧倒され、荒砥に40分くらいで到着する。この国道は山形市と長井市・西置賜郡を結ぶ重要な交通路線である。平成4年、山形と白鷹間約9`の山道を開いて、国道348号となった所で、鉄道だけで結ばれていた西置賜郡と県都山形を密接な生活環境につないだ路線といえよう。
平安末期に山形を訪れた西行法師(1118〜1190)は佐藤義清といい、23歳の時に出家して諸国を行脚、自然を愛する秀れた歌人であった。出羽の山寺を訪れ、滝山や長谷堂の滝の山をかけて小滝街道(別名・黒森峠ともいう)を通り、糠野目の夏刈を訪れている。つまり、この街道は山形―松原―上山を結ぶ羽州街道より古い峠道で、慶長5年(1600)の長谷堂合戦の通り道であったことから理解されよう。
山形市から行くと五日町―上町―南館―富の中―須川―前明石―二位田―長谷堂と続く。次に須刈田から上山市に入ると「山びこ学校」で有名な旧山元村狸森(むじなもり)、本屋敷から本沢川上流に入り、小白府、小滝街道の名前をつくった南陽市小滝となり、吉野、宮内と続く。小滝に行く前に上山市と南陽市の境に長いトンネルがあって、右に曲がる白鷹行きが国道348号で、右側は標高994bの虚空蔵さんが祀られている白鷹山頂となる。この山は真言宗系の霊山で、4月18日「高い山祭り」が賑やかに行われた。この山の特徴は、山形市・山辺町・上山市・南陽市・白鷹町の三市二町の境界が交叉していること。山頂の虚空蔵さんは農民の信仰が深く、村山地区の各市町の人びとも登拝する慣習があり、男女の縁結び、バクチなども行われて楽しい祭りとなった。豊かな稔りを祈り、各市町の情報交流も行われた祭りは、現代の社会情勢になじめず、登拝する人も少なくなったようだ。
●山形へ、米沢へと産物が流れる「山あいのシルクロード」
古くは置賜盆地と村山地方の交流から始まり、多くの遺跡を残して西行法師も歩いた道といわれ、いわゆる山あいの交易ロードであった。江戸期においては、米沢の直江兼続の率いる上杉軍団が、慶長5年の長谷堂合戦の際、上方の関ヶ原の戦いで徳川方勝利の情報を知り、いさぎよく引き上げた街道である。江戸期に入ると羽州街道が秋田・佐竹藩の動きによって生れたが、小滝街道は米沢と山形を結ぶ交易路として発達した。
最上川舟運で栄えた山形市北西の船町では、米沢に送る塩、干魚などは、村木沢―門伝―長谷堂ルートで運送された。城下町を形成した長谷堂商人たちは、米沢・宮内地区の漆液を樽に入れて、関西・新潟方面に輸送している。交易した主な産物は次のものがある。
○米沢方面から輸送したもの
あおそ・桑・漆・絹織物・葉煙 など
○長谷堂―小滝街道からの輸送品
塩・醤油・米・荏水油・干魚・大豆・小麦・紅花・蝋燭・ 絹糸・牛・馬など
この街道で主な問屋場が長谷堂と南陽市の小滝村に発達していたので、羽州街道の松原番所や上山の商人たちから代官所に訴えられていた。しかし、長谷堂の商人たちは、永い間の取引慣行であると言って譲らなかった。交易商としては、山路で大変であるが番所で通行税を取られる羽州街道より、小滝街道を利用した方が良かったらしい。現在の国道348号が、長井―飯豊―小国―新潟方面の車の往来が増大していることは、過去の歴史的な記録が復活していると考えられる。
●歴史を刻む山形鋳物、職人技がさらなる伝統を育む鋳物町
山形市は昭和30年代後半において高度経済成長政策を展開、山形市開発公社が発足したのが昭和38年(1963)であった。市の人口増加によって住宅街の団地確保、工業団地の取得、工業用水調査、公害防止などを考えながら、立谷川工業団地(昭和39〜46年)を造成。須川西岸に沿って西部工業団地(昭和44〜51年)の造成と、関連工場の移動推進策を実施した。
山形駅西口から西南方向へ約5`、須川西岸の高木地区の耕地を整理し、約50fの工業団地が生れた。北は下飯塚地区から南は前明石西に至るまでの団地であるが、鋳物業の工場を中心に形成されている。団地の工場は機械金属、合金などの工場もあるが、見学して欲しいものは、山形の国指定を受けている鋳物工場が約15ヵ所あることである。昭和45年ころ、山形市内の歴史的な銅治(どうや)町から工人たちは移動しないという状態であった。しかし、 市内の都市化現象に伴って、公害、工場の音などを考えて、鋳物組合の近代化・発展を話合って大移転を行った。銅町の名を残すために、伝統工芸の職人たちの仕事場を残し、約2,000人の工人たちが鋳物町で働いていることを忘れないで欲しい。また、鋳物町の組合事務所には、生活用具の美しい山形鋳物が並べられ販売している。事務所の側では、現代の人間国宝、無形文化財指定を受けた高橋敬典さんが工場で仕事をしている所も見ることができる。さらに、山形市と鋳物師たちが建てた山形市産業歴史資料館も無料で見学できる。筆者も鋳物の歴史、手技の調査をしながら協力した。しかし、市民の訪問が少ないので、長谷堂地区の歴史を訪れながら、現代における山形の鋳物・伝統工芸を是非とも見学し、山形の誇るべき工人のすがたを理解して欲しい。
≪山形商工会議所発行『山形町細見』より転載≫